カウンセラーいーちんのブログ

恋愛体験談、家族、コミュニケーション、毒親、アダルトチルドレン、うつ…etc.

責任感ない・責任感があるってどういうこと?

責任感

こんにちは、いーちんです。

 

この歳になってくると、「責任感」の有無で批判されることがあったり、「責任感って大事だなぁ」と思うことが増えてきました。

 

そこで今回は、そもそも「責任感」って何なのか、を自分なりに振り返り、考察してみようと思います。

 

 

「責任感」をシーン別で考えてみよう

「責任感」や「責任」という言葉1つとっても、時と状況によってその意味合いが違ってくると思います。なので、まずはシーン別で探っていきたいと思います。

 

仕事での「責任感」

仕事では、「引き受けた仕事を最後までやりきる」ことができる人が、「責任がある」と評価されますね。つまり、約束を守っている、ということになります。

 

ただ、あくまで「やりきったように見せる」ことができさえすれば、クライアントが満足してくれさえすれば、それでOKというところがありますよね。

 

なので、要領のいい人、仕事のできる人は、クライアントが満足するかどうか、を基準にしていることが多々あります。そして、それが成果として受け取られる、ということも知っているのでしょうね。

 

家族での「責任感」

家族の中で責任感があるのは、例えば一家の大黒柱である父親です。

 

なぜ父親が一家の大黒柱と言われているのかというと、それは家族が生活するためのお金を稼いできてくれるからでも、子どもが悪いことをしたときに叱る役割だからでもありません。

 

「家族を守る」という信念を、一番強く持っているからです。

 

例えば、中学生の娘が非行に走ったときに、それを暴力を持ってしても止める!と父親が思っているとしたら、それは責任感の現れです。

 

なぜなら、父親は、娘が非行に走ることによって、家族全員が不幸になっていく可能性を察知しているからです。(そこまで考えて娘を制止している父親はいないでしょうけどw)

 

逆に言えば、娘が非行に走っていても、見て見ぬ振りをしている父親は、大黒柱、一家の家長としての責任を全うしていないと言えますね。

 

これは、あくまで父親を1つの例として挙げただけです。なので、母親も娘も息子も祖父も祖母も、自分が所属する家族に何か問題があれば、それに積極的に関わり解決しようとするのが責任感の現れになる、ということです。

 

恋愛での「責任感」

「この無責任男!」と彼女に言われたとき、その彼氏には責任感がないのでしょうか。

 

例えば、25歳のときから10年間も付き合っているのに、最終的に彼氏から別れを告げたとしたら、その彼氏は社会的には無責任な男かもしれませんね。

 

少なくとも、彼女からしたら、いい歳になって放り出されるわけですから。そりゃ「無責任男!この10年返せ!」と罵りたくなるのもわからなくもないです。10年も付き合っていて、同棲もしていたら、「いつか結婚するはず」と期待しても自然ですものね。

 

ここで見て取れるのは、「責任感」は社会的・一般的・常識的な考え方が反映されやすいということです。

 

本人が好き勝手やっていて、それは自由でいいのですが。周りを期待させてしまったりして、その期待に応えないと、思いがけず「無責任だ!」と批判されてしまいかねないようですね。

 

コミュニケーションでの「責任感」

「さっき言ってたことと違うじゃん!」

 

この批判の裏には「責任感」が感じられます。

 

言っていることに一貫性がない、というのは無責任だと思われてしまいますよね。

 

ひとりで日々の生活を送っていれば、さっき言ったことやさっき決めたことを刹那的に変えていたとしても、誰にも迷惑をかけませんが。

 

誰かと一緒にいるとき、この場合でしたら、誰かと話をしているときに、自分の意見や主張を勝手に変えてしまうと、それを聞いている相手は混乱してしまう、ということなのでしょう。

 

相手に対する配慮のかけた発言も、無責任だと批判される元になってしまいそうですね。

  

人生での「責任感」

それと、先ほど「誰にも迷惑をかけませんが」と言いましたが、この「他人に迷惑をかけているかどうか」も、責任感の有無に関わってきます。

 

逆によく言うのが、「誰にも迷惑をかけなければ自由にやっていい」という言葉です。

 

他人に迷惑をかけない範囲で、行動すること・行動できることが、「責任感がある」ということには欠かせないのかもしれませんね。

 

なので、例えば、ひきこもっていて、仕事もせず、実家に暮らしている大人がいたら、結局彼が生活できているのは親のおかげなわけですから。それは「無責任だ」と言われてしまうかもしれません。

 

もちろん、親が「それでいい」と言っていたら、それは親にとっては「無責任」とは捉えられないでしょうが。

 

おそらく社会からしたら、「無責任な人」というレッテルを貼られてしまうかもしれません。だって、「責任感」は社会的・一般的・常識的な考え方が反映されやすいのですから。

 

じゃあ「責任感」って結局なに?

 ここまで見てみると、一番強力な要素は、「他人に迷惑をかけないでいること」なのかな、と思えます。

 

仕事で責任感のある人は、任された仕事が最後までやり遂げられて、同僚にも上司にもクライアントにも、誰にも迷惑をかけていませんよね。

 

コミュニケーションにおいても、人生においても、誰かを不快にさせない、という意味で、誰かに迷惑をかけないでいると、その人は責任感があるということなのかもしれません。

 

ただ、家族の中の責任感の場合は、「積極的に関わる」ということが責任感になりましたよね。

 

これは仕事上のチームでも同じです。あるチームに入ったら、その任務を全うするためには積極的に関わろうとする、コミットするのが責任感です。

 

そう考えてくると、「自分の選択に対して最低限コミットする」というのも責任感だと言えますね。

 

んー、一言で表すのが難しいですね、責任感って。

 

・・・

 

わかった!!!!

 

「ある集団のなかで、そのルールの範囲内で、最低限の義務を全うすること・していること・状態」

 

これが「責任感がある」ということなんじゃないでしょうか!?

 

いかがでしょう?「迷惑をかけない」「集団にコミットする」というのを網羅できる定義になってませんか?・・・辞書で調べたらいいか(苦笑)

 

「責任感」のある・ないでどう違うの?

 では、責任感のある人とない人で、どういう違いが出てくるのでしょうか。

 

  • 責任感のある人は認められ、ない人は批判される
  • 責任感のある人に仕事が集まり、ない人には仕事はこない
  • 責任感のある人に他人は安心を抱き、ない人には不安を感じる
  • 責任感のある人は家族を築き、ない人は家族を失う
  • 責任感のある人は社会問題を自分事と捉え、ない人は他人事と捉える
  • 責任感のある人は地に足がついていて、ない人はふわふわしている

 

思いつく限り挙げてみましたが。いかがでしょ?あくまで確率論なので、絶対ではありません。

 

・・・やっぱり、責任感って持っておいたほうがいいのかな。汗

 

こう見てみると、責任感って、自分自身を社会から守るための「盾」になってくれそうだ。

 

皆さんはどう思われますか???