カウンセラーいーちんのブログ

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日本社会のストレスの原因は「偏見」

こんにちは、いーちんです。

 

中国は上海に住んでいるぼくですが、

同僚と、なんで日本ではあんなにストレスを感じていたのか、

という話をランチタイムにしてみました。

 

  • 中国人は日本に「住みたい」とは思わない
  • なぜ外国人と話すとリラックスできるのか
  • 日本にまみれる偏見たち

 

 

中国人は日本に「住みたい」とは思わない

 

中国人によくこんな質問をします。

 

「あなたは日本のなにが好きですか?」

 

すると決まって

「日本は清潔だし、文化もとても魅力的なところ」

とたいていの中国人は答えてくれます。

 

ですが、

「じゃあ、あなたは日本に住みたいですか?」

と聞くと、たいてい

「住みたくはない」

と答えるんですよね。

理由を尋ねると、

「だって、日本はストレスがハンパないんでしょ。汗」

と答えが返ってくるんですよね。汗

 

日本は自殺率が人口10万人当たり24.0人(2011年)で、

年間3万人(2011年)の自殺者が出ている、というニュースが、

中国にも広まっているのかな、と思いました。

※2017年現在は自殺率は人工10万人当たり16.8人、自殺者数は21,321人で、下がってますね

 

けど、そういうマスメディアの影響だけでもないのかな、と。

だって、ぼく自身、

日本に一時帰国した際には、

やっぱり中国にいるときも、なんというか緊張感が走るんですよね。

 

 

なぜ外国人と話すとリラックスできるのか

 

なぜ日本社会はストレスが大きいのか、

を考える糸口として、

もう1つ、ぼくの経験をシェアします。

 

ぼくは外国人と英語で話すのが好きです。

ついさっきも、ルームメイトのロシア人と英語で

おしゃべりをしてきました。

 

英語を話すと人が変わる人がいる、というのを

聞いたことがありますが、

ぼく自身も、英語を話しているときと

日本語を話しているときでは、リラックスできて、

態度が変わります。

身振り手振りが大きくなったり、

ストレートに言いたいことを伝えようとしたり。

そして、中国人と中国語で話をしていてもそうです。

 

英語と中国語を話しているとき、

どちらにも共通するのは、

ぼくがネイティブスピーカーではなく、

語彙力に乏しいから、

自然と表現がストレートになる、

というのはあると思います。

 

それと、どちらの言語も、

日本語に比べて抑揚が激しくなります。

特に中国語には声調があるため、

抑揚をつけざるをえません。

 

これらの2つの理由から、

日本人のなかに外国語を話すと

自分をより表現できて、リラックスできていて、

態度が変わる、というのは自然なことだと、

考えられます。

 

 

日本にまみれる偏見たち

 

しかし。

 

外国人と話すときになぜリラックスできるのか、

他にも理由があることに気づいたんです。

 

それは、

相手に対して偏見を持っていない、

ということです。

 

例えば、ロシア人と話していて、

この目の前にいる人が、

どれだけの収入を持っていて、

どれだけの学歴があって、

ロシア社会でどんな地位にある人なのか、

わかりませんよね?

少なくとも、それを判別するだけの情報が、

わかりづらいんですよね。

ロシアにいったこともなければ、

ロシア社会のこと、ぼく、あまり知らないので。

 

中国に住んでいますが、中国人に対してもそうですよ。

もちろん中国社会については、

政治がどうとか、収入格差がどうとか。

少しずつ知ってきてはいますけど。

それでも、まだまだ知り尽くせていません。

 

じゃあ、逆に、

相手が日本人だった場合はどうなのでしょうか。

一応ぼくも日本に30年以上住んだ経験があるんで。

この程度の学歴の人はどうとか、

こんな服装をしている人はどうとか、

年齢がこれくらいだとこんな時代を生きてきたのかな、とか。

とにかく情報が多くって、

いろんな偏見を持ってしまっているんですよね。

色眼鏡を通して見てしまう。

謝りますけど、これは不可避です。

 

と、ということは、

「相手もぼく自身を偏見で見ている」

というイメージで、相手と話してしまうんですよね。

 

どうです?

みなさんは、偏見を持って見られているとしたら、

どんな気分になりますか?

 

極端な例を出すと。

ここに性同一性障害の人(戸籍上も見た目も男性)がいるとします。

その人とはじめて会ったとき、

みなさんはどう思いますか?

 

「あ、この人は”男性”なんだな」

と無意識に前提を設けて、会話をスタートしますよね。

 

けど、相手は心の中で、

「わたしは女性なんだけどな」

と感じながら、でも会話の内容は男性として見られていることが

前提になっているんです。

それって、なんか窮屈だと思いません?

 

もう少し広い範囲の話に戻すと、

・高学歴な人は収入が多いんだろうな

・高学歴な人は頭がいいんだろうな

・有名企業に勤めている人は収入もいいし仕事もできるんだろうな

・片親の人は育ちが悪いんだろうな

・服装がみすぼらしい人は、貧しいんだろうな

・全身ユ○クロの人は、オシャレに気を使わないんだろうな

なんていうバイアス(偏見)で見られているとしたら、

とっても窮屈ですよね。

 

高学歴でも仕事できなくて収入少なくたっていいのに。

高学歴でも、頭がいいとは限らないのに。

有名企業に勤めていても、仕事はできないかもしれないのに。

片親でも立派な人かもしれないのに。

服装がみすぼらしくても、一流の人間かもしれないのに。

全身ユ○クロでもオシャレを楽しんでるかもしれないのに。

 

 

つまりは、

もっと多様性を受け入れる社会に、

根本的な社会文化を変えていかなければ、

ストレス社会といわれる日本社会は、

変わらないんじゃないかな、と思った。

そんなある日のランチタイムでした。