カウンセラーいーちんのブログ

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ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)②駆け込み寺でありたい

こんにちは、いーちんです。

 

ぼくは現在、主に恋愛をテーマに、

メールカウンセリングサービスをしています。

 

coconala.com

 なぜぼく自身がメールカウンセリングをしようと思ったのか、

まとめたことがなかったので、

4回に分けてまとめた記事を書こうと思っています。

 

その2回目です。

関連記事:ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)①家族と心理 - ぼくは恋愛でここまで大きくなりました

 

 

【理由②】

「駆け込み寺」でありたい

 

なぜでしょうか、気づいたときには、

ぼくは世の中の多くの人を否定したくない

と思うようになりました。

 

すべてを肯定したい、とは思っていません。

なので、否定したくないのは、

主に困っている人、

社会的弱者といわれる類いの人たちです。

 

例えば、殺人犯。

殺人を犯したことは、社会的には罪ですし、

人の道に反することです。

道徳的にも、殺された人のことを考えると、

殺人犯は生きていていいのか、

とさえ感じられます。

 

では、その殺人という過ちの責任が、

その人ひとりが負うべきかというと、

ぼくはそうは思いません。

 

もしかしたら、

その殺人犯は、殺した相手から

ものすごい嫌がらせを受けていた可能性があります。

 

もしかしたら、

その殺人犯は、殺した相手は誰でもよく、

精神的にそのときたまたま不安定に

なっていたのかもしれません。

そして、その精神的に不安定になっていた原因は、

ブラック企業で法に反するほど過度な残業を

強いられていたからかもしれません。

 

もしかしたら、

その殺人犯は、幼少期から両親に虐待を受けていて、

万人には理解できないくらいに、

他人を信じられず憎しみを抱いていたのかもしれません。

その感情が殺人という歪んだ形で表に出たのかもしれません。

 

 

つまり、ぼくが言いたいのは、

どんな社会的弱者にも、

他人には理解できない背景事情がある、ということです。

 

 

往々にして、他人というは

勝手な主観的で、社会的弱者を批判してしまうもの、

とぼくは考えています。

 

2ちゃんねるで不倫をした芸能人の批判をぶちまける人がいたり。

会社で当の本人がいないところで愚痴や悪い噂話をしたり。

 

当の本人に直接言うことは避けるのに、

自分がその発言に責任をとらなくていい場所では、

勝手なことを言えてしまうものですし。

言うことで自分を棚に上げることができてしまう。

自分はまだマシな人間だと、そのときだけ思えてしまう。

そういうものだと思っているんです。

 

じゃあ、

たったひとり、批判の的にされる当の本人さんは、

いったいどうしたらいいんでしょうか。

自分で命を断てば、ゆるされるのでしょうか。

お金でも払えば、批判されなくなるんでしょうか。

 

この世の誰もが、常に客観的になれたなら、

そういう自体は避けることができるのかもしれませんが。

 

すべての人間は、神様や仏様のように、

いつも冷静でいられるわけでもありません。

 

であれば、

ぼくは神様や仏様ではありませんが、

世の中から批判を浴びるような人でも、

ぼく自身がそういう人たちの拠り所、

一時的にでも逃げ場になりたい、

なってあげたい、と思っています。

 

 

例として殺人犯をあげましたが、

実際は、日々の悩みを抱えている人から、

うつ病になってしまって日常生活が送れない人、

それこそ世間からは批判されるような不倫をしている人、などなど。

彼らも社会的には弱い立場にあります。

 

事情は小さなことでもなんでもいいんですが、

とりあえず本人が辛い、困っている人。

けど、まわりの身近な人に話すと自分の評価が下がりそうで

恐くて相談できない人。

そんな人たちの「駆け込み寺」になりたい、

とぼくは思って、

メールカウンセリングをしています。

 

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