カウンセラーいーちんのブログ

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ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)④人と向き合いたい

こんにちは、いーちんです。

 

ぼくは現在、主に恋愛をテーマに、

メールカウンセリングサービスをしています。

 

coconala.com

 

なぜぼく自身がメールカウンセリングをしようと思ったのか、

まとめたことがなかったので、

4回に分けてまとめた記事を書こうと思っています。

 

その4回目です。

関連記事:ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)①家族と心理 - ぼくは恋愛でここまで大きくなりました

関連記事:ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)②駆け込み寺でありたい - ぼくは恋愛でここまで大きくなりました

 関連記事:ぼくがメールカウンセラーになりたいと思った理由(わけ)③否定したくない - ぼくは恋愛でここまで大きくなりました

 

 

【理由④】

人と向き合いたい

 

 

人と向き合うことは自分と向き合うこと

「人と向き合う」というのは、

他人とコミュニケーションを取りながら、

想像力を膨らませながら、

相手のことを自分なりに理解し、

自分の話もして、相手の反応を見て、

自分自身のことも知る、という意味です。

 

なので、人と向き合うことは、

結果自分と向き合うことにもなります。

 

他人は、生きてきた人生も、

今現在考えていることも、

未来に思い描いていることも、

自分とはまったく異なります。

 

細かく言えば、

人と自分はほぼ100%違うと、

ぼくは思っています。

 

同じ「りんごが好き」と言ったとしても、

その好きな理由が「みずみずしさ」だとして、

その表現方法は同じだとしても、

感じている「みずみずしさ」は100人いたら100人とも違うはずです。

 

けれど、

だからこそ、人と向き合うことはおもしろい

ぼくは日々感じています。

 

多くの人と膝を付き合わせて話をすればするほど、

ぼくという人間の「輪郭」がはっきりしていくから、

かもしれません。

 

新しい発見があれば、

それだけ自分の「輪郭」が広がったり、

これまで曖昧だったものがはっきりしたりします。

 

まったく同じではなくても、もし共通点があれば、

自分の想い描いていた自分の「輪郭」が

強固になったりもします。

 

そんなふうに、

世界(他人)と自分への好奇心を満たしてくれるのが、

人と向き合うという作業だとぼくは思っています。

 

そして、それはぼくが生きている限り、

死ぬまで終わることのない、

趣味のようなものなんです。

 

歳を取れば、自分が抱く自分のイメージは変わりますし、

自分から見える他人のイメージもまた変わってきます。

住む場所や仕事、立場が変わってもそうでしょう。

 

若い頃は年配の人に対して

「オレらの意見を全然聞いてくれない、ちくしょー」

と思う人がいますが、

そんな人が歳を取ると、

「今どきの若い者は何もわかっちゃおらん」

と思うようになったりもします。

 

終わりなき、自分の趣味を

ぼくは見つけたと思っています。

 

 

人との出会いが人生の醍醐味

それに気づいたきっかけのひとつは、

バックパッカーとして海外を一人旅したことでした。

 

世界11カ国、主にアジアの国々を旅しました。

大学のときには半年休学して旅行したときもありましたし、

それ以外は2週間〜5週間程度の期間で、

何度か海を渡っていました。

 

海をまたぐと、

どの国も日本とは異世界で

違う文化、匂い、景色が眼前に広がっていたわけですが。

 

一番の刺激はなんといっても、

「人」でした。

 

思い出すのは、たいてい

 

「あのときあの場所で○○という人に会ったなぁ」

「あのときあの国では○○さんと一緒にいくつか町を移動したなぁ」

「あのときあの場所で出会った○○さんとは、△△の話をしたなぁ」

 

ということばかりで、

人を媒介にした記憶ばかりです。

 

おそらく、日本の大学生だったぼくにとって、

海外で出会うバックパッカーや現地の外国人は、

日本での日常では出会えない奇異な存在だったから

かもしれません。

 

そんないびつな?突飛な?

日本社会から逸脱したような人たちに会う度に、

ぼくの「輪郭」もまた少しずつ変化していったのかな、と。

 

そして、

人と出会うこと、

人とコミュニケーションを取ること、

そして、人生の醍醐味は人との出会いであり、

人と向き合うことだと気づいたんだと思います。

 

 

ただの寂しがりやの気違いかも

…と大げさに書いてはいますが、

ぼくが単に寂しがりやだという可能性もありますw

 

ひとりで物事に取り組むだけでは、

満足できない人間なのでしょうね。

 

もっと言ってしまえば、

現実離れしているというか…汗

仙人ではありません。

 

現実のこと、実存的というんでしょうか?

モノやお金にはあまり頓着がないんですよね。

 

基本、モノやお金を見ていません。

見てもそんなに感動を覚えないんです。

 

常に人を観察して、

頭の中で妄想を描いているのが、

習慣になっています。

 

「あの人があんな歩き方をしているのはなんでかな?」

「あの人たちがあんなに楽しそうにしているのはなんでかな?」

「この人がこんな発言をしたのは、なんでかな?」

 

とまぁ、たいてい理由や原因ばかりを妄想しています。

一歩間違うと気違いですが。苦笑

 

なので、よく友人や上司には、

 

「いーちんはよくモノを考えているね」

 

と言われるんですがw

ただ妄想しているだけなんですけどね。

 

 

綺麗に言えば、

人に興味があるんだと思います。

 

そしてこの妄想力を武器に、

人と向き合い、自分を客観視して、

カウンセリングをして、

困っている人の問題解決をしたい、

そう思うようになりました。