カウンセラーいーちんのブログ

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「他人の目が気になる」現象と日本の社会

こんにちは、いーちんです。

 

先日こんな記事を書きまして。

関連記事:「他人の目」が気になる - ぼくは恋愛でここまで大きくなりました

 

で、こんな本を読んだと書きました。

「他人の目」が気になる人へ 自分らしくのびのび生きるヒント (光文社知恵の森文庫)

 

この本の素晴らしいなと思ったのが、

「他人の目を気にするという文化を変える力は、誰にでもある」

といった類いのことが書かれていたことです。

 

  • 日本人は「他人の目」を気にしすぎている
  • なぜ「他人の目」を気にするのか
  • どうすれば「他人の目」を気にしなくなるか

 

日本人は「他人の目」を気にしすぎている

ぼくは、日本人は「他人の目」を気にしすぎていると思っています。

 

「空気を読む」という言葉がふつうに使われていたり。

失敗を恐れて起業がしにくい国だといわれていたり。

昔あった「村八分」のように、学校でも会社でもいじめが横行していたり。

 

そもそも農耕民族の村社会だった日本では、

集団からはみ出ることが、たいへんリスキーだという文化が、

染みついてしまっているように感じます。

 

ゆえに、

そのリスクを犯さないためには、

「他人の目」を気にして、和を崩さないような

行動ばかりをとるしかない、というわけです。

 

今のご時世は、「多様化」が進んでいるとは言われていて、

それは事実かもしれませんが。

 

それでも、日本人が「他人の目」を気にする文化は、

依然として残っているように思います。

 

中国人なんか、ほんと「他人の目」は気にしませんからねw

 

電車やエレベーターのなかでは、

気にせずケータイで大声でしゃべっているし。

 

ルームメイトも、

トイレとか台所のシェアスペースを、

使っても掃除しませんからねw

 

ほんと、好き勝手やってますよ。

 

 

なぜ「他人の目」を気にするのか

ぼくが読んだ書籍で、

なぜ「他人の目」を人が気にするのか、

書いてあったんですが。

 

「他人の目」を気にするのは、

評価という一種の暴力生をはらんだ言動に、

長い間さらされつづけて、

「プチ・トラウマ」というのを積み重ねてきてしまったから、

だそうです。

 

逆に言うと、

幼い頃から、親や学校、地域社会で、

他人の評価という勝手な決めつけを、

押し付けられてくることが多かった、ということですよね。

 

では、日本人はこれが多いんでしょうか?

 

ここからはぼくの憶測です。

 

例えば、

仮に集団から逸脱するような人がいたら、

その人に対して「集団の価値観」を押し付けようとするかもしれません。

「出る杭は打たれる」っていうやつですね。

すると、その人が感じていた主観、

その人の個性は否定されてしまいます。

うん、やっぱり「他人の評価」を決めつけで押し付けられてる。

 

そもそも、

親が「他人の目」を気にする人たちだと、

親は体裁を気にする、ってやつで。

それを子どもにも押し付けてしまうのではないでしょうか。

親としての自分の価値観や子どもの無垢な主観をないがしろにして、

「他人の目」があたかも真実であるかのようにとらえて、

それを子どもにも押し付けるしかなくなってしまうのかも。

 

なので、日本社会においては、

「他人の目」は「世間の目」ということになりそうです。

 

体裁って、恐いですね。

形さえ調えてりゃいいってもんじゃないのにな。

 

 

日本人と中国人を比較してみた

中国人は「他人の目」を日本人より気にしないのは、

みんな好き勝手やるのが当たり前だからです。

 

そりゃ、これだけ広い土地に、

多くの民族が共存(もしくは棲み分け)して、

これだけ多くの人口の国民が一緒に住んでいたら、

「全員同じ」とか言ってられないですよね。

 

ある中国人の友人も言ってましたよ。

「これだけたくさんいたら、いろんな人がいるのは当たり前」

 

だから、

いろんな価値観があっていい、という前提が

しっかり根付いているんでしょうね。

 

ビジネスの面だけでなく、

文化の面でも、中国人は合理的なのでしょう。

 

自分と他人の価値観を切り離して考える癖が、

しっかりついているようでした。

 

例えば、女性と食事をしたとして、

「じゃあ割り勘で」

と言おうものなら、ぶちキレられますw

 

「日本は割り勘がふつうだよ」と言えば、

「私は中国人だし、ここは中国だから、割り勘なんてあり得ない!」

と言われますw

 

日本人だったら、もっと柔軟に対応してくれますよね。

 

中国人は自分の価値観に対して、しっかり自信を持っているのでしょう。

その価値観が合わなければ、別に一緒にいる必要もないのです。

 

 

どうすれば「他人の目」を気にしなくなるのか

じゃあ、どうすればいいんでしょう?

 

本の中では、

「評価体質」の人に出会ったら、

相手をそのまま受け入れてあげよう、と書いてありました。

 

つまり、

相手が評価してきたり、

こちらに批判をしてきたりしたら、

それは相手の問題であって。

評価や批判するのは、

相手にも事情がある、と考えるのです。

 

そうすると、

結果こちらはその「評価体質」の人を理解することになるので。

相手は安心してくれることになります。

 

この一種の優しさを蔓延させていきましょう、

というのが、この本の言う解決策でした。

 

なので、ぼくの言葉で言うとしたら、

 

自分と他人の問題を切り分けて考える、

だけど、見捨てることはせず、理解する。

 

という感じでしょうか。

 

ただし、

そもそもの前提が、

評価や批判を受けている自分の考えや気持ちは、

間違っていない、そこにあるもので否定されるものではない、

というある程度強さがないといけませんので。

 

そこをまずはクリアする必要がありそうです。

 

ちなみに、

評価や批判を受けて、それにやり返してしまうのは、

よろしくないことですね。

これはただ自己防衛的になっているだけなので。

 

「自己防衛」に関しては、こんな本がオススメです。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

 

「他人の目」関係の本は、おもしろそうなんで、

他にももっと読んでみまーす。