自分の父親を憎んでいるすべての人たちへ
こんにちは、いーちんです。
恋愛以外のテーマの記事をはじめて書きます。
これを読もうとしてくれているということは、あなたは自分の父親が大嫌いで憎くてしかたない、ということでしょう。
かく言うぼくも、自分の父親が大嫌いでした。今はそうでもありません。
少なくとも、父親に対する憎しみで自分が苦しくなるということはなくなりました。
そんなぼくがしたこと、気づいたことをつづるかたちで、みなさんにお伝えしたいことがあります。
- 父親が嫌いな理由
- されど父親
- 向き合ったその後
父親が嫌いな理由
なぜ父親が嫌いだったんでしょうか。
思い当たるのは、いくつかあります。
干渉してくる
両親とはぼくが27歳になるまで一緒に住んでいました。もうかれこれ7、8年前のことになります。
毎日夜になると、父が決まってぼくに聞くことがありました。
「いーちん、風呂入ったか?」
そう聞くときたいていぼくはまだ入っていないので、「入ってない」と答えると、父が言うのは決まって、
「じゃあ先入れよ」
もしこちらから「父さんが先入っていいよ」と言っても、父はぼくに入れと言いました。
つまり父は、ぼくの行動をコントロールしたかっただけなのでしょう。
いわゆる干渉ということです。ぼくの判断や選択に介入してきて、ぼくの意志は意に介さない。
ぼくの気持ちとしては、不自由な気分。
勝手にやらせてほしい、と毎回イライラしながら感じていました。
すぐに怒鳴る
父は声を荒げることはありましたが、ぼくに対してではありません。
母に対してあらげていました。
そして、母を怒鳴りちらしていたわけでもありません。
父が声を荒げていたのは、仕事や趣味の愚痴だったのです。
父は外ではいい人だったので、家に帰ってその我慢や鬱憤を晴らすかのように、母に声を荒げて愚痴を話していたのです。
普段は温厚な父のその姿にひどくガッカリもしましたし、ふつーにうるせーだったわけです。聞いてるこっちも気分が悪いですしね。
尊敬できない
そんな様子を見ていたことも父を尊敬できない理由でした。
あとは仕事。
父は個人事業主として家の自室で仕事をしていましたが、テレビを見ながら仕事をしていたり、部下に怒鳴りちらしていたりと、端から見ても事業がうまくいっているようには思えませんでした。
かと言って、ぼくや姉の話を親身に聞いてアドバイスをしてくれたりするわけでもなく、いったい父のどこを尊敬したらいいのか、ぼくにはわかりませんでした。
されど父親
とは言うものの、父はぼくにとって父親です。
父が生きようが死のうが、ぼくにとっては父親なので、無視することはできません。
そこで父に向き合うことにしました。
父と直接対決した
溜まっていた鬱憤を、他で発散することはできたでしょう。
しかし、それじゃおかしい。それじゃ向き合うことにはならない。
ある日、ある場所に置いてあったぼくのモノがなくなっていました。
「ぼくの○○、誰がどこにやったんだ!?」
とぼくが言うと、父がぼくにつっかかってきました。
(お、これはチャンス)
怒りを父にぶつけるチャンスだと思ったんですね。
ぼくは怒る理由がなければ、怒れなかったんだと思います。
そこで父に罵声をぶつけ、さらには胸ぐらを掴み…
そこからはこれまでの父への鬱憤を吐き出しまくりました。
ついでに、母にもw
気づいたら、姉に静止されていて、そのあとは涙を流しながら、ぐちゃぐちゃになりながら、両親への怒りや恨み、憎しみを吐き出しまくっていました。
父は呆気にとられていた様子でした。
母は怒っていました。
姉は、ぼくをかばい、横にいて「いーちんの気持ちわかるよ」とずっと言ってくれていました。
その晩は、心配した姉の一人暮らしの家に泊まることになり。
ただ、今でもすごく覚えているのは、姉の家に向かう途中、雨の中夜の道路を走る車のライトの光が、ものすごく綺麗にキラキラと輝いて見えた、ということです。
鬱憤を晴らして、正直な自分を父(両親でしたねw)にぶつけた自分は、ようやく生きた心地がしていたのでしょう。
父としっかり話し合った
実家に帰ったあとは、父と母と三人でぼくの伝えたいことを、今度は冷静に伝えることにしました。
幼少時にぼくが感じていたこと、父(両親)に対する不満や、当時の恨みのもとになっていた憎しみ。それらを冷静に…。
なんて、そう簡単にはできないのでw
時折、今度はぼくが声を荒げてケンカ越しになることはありましたが。
とにかく話し合いました。居間で、テレビを消して、向き合って。
何度やったかなぁ。一回が3時間だとして、5回くらいはそんな機会を設けたと思います。
自然に話しはじめることもあれば、事前に話をしようと伝えた上でのこともありました。
そのうち気づいたのは、「父は父である」ということです。
「あー、こいつは変わらねーな」と。
そう、ぼくは父に多いに期待していたんですね。他人に期待しても、そこまでは変わらないのに。特におっさんですからね。しかも頑固な。
このとき、いい意味での諦めがついたのかもしれません。
父をよく知る知人に会いにいった
もうひとつ気づいたのは、ぼく自身が父のことをあまり知らないということでした。
父も父で、自分の話をするのが苦手な口べたな人だったので。
しかし、ぼくの知らない父を知る人がすぐに思い当たりません。
父は高校生のころに両親を亡くしており、もちろんぼくも、父の両親、つまりぼくにとっては祖父母に会ったことがなかったのです。
そこで父に直接聞いたところ、昔お世話になった人がいる、とのこと。
父のお母さんの幼なじみで、お母さんが亡くなったあとに後見人のようになってくれた、いわばお母さんの代わりのような人が、千葉県に住んでいるとのことでした。
実は、ぼくも数年前に家族でそのおばあさんに会いにいってましたから。知ってはいたのですね。
そこで、ひとりでそのおばあさんに会いにいってみることにしたのです。
実は、そのとき父はとてもうれしそうでした。なんでかな。
おばあさんは80代くらいでした。けれど、口調はとってもしっかりしていました。
昼頃おばあさんの家に着いて、夕方くらいまでいたかな。単純計算で5、6時間は話を聞いていたと思います。
ただ、ほとんどがその地域の話と昔話でw
でも、ぼくの目的は父のことを聞くことだったので。
最後に質問をしたんです。
「父はどんな子どもでしたか?」
するとおばあさんが答えた回答は、
「やさしい子だったよ」
そのとき、何か喉につかえたものが、ようやくとれた気がしたんです。
おそらく、ぼく自身も昔からまわりに「いーちんはやさしいね」と言われてきた子どもでしたから。
おばあさんのその一言で、「自分は父さんの息子なんだなぁ」と何かストンときたというか。救われたというか。
その納得感は、いつのまにか安心感になり。
自分のルーツを知ることがこれほど大事なことかと思いながら、そのおばあさんの家をあとにし、東京の実家に帰ったのでした。
自分の父親を憎んでいるすべての人たちに伝えたいこと
ぼくがこの記事で一番伝えたいこと、それは
「ぜひ、お父さんと向き合ってほしい」
ということです。これに尽きます。
向き合い方はこれまでに書いてきましたが、決してケンカをする必要はありません。
一番重要なことは、「父親のことを知る」ということです。
父親のことが憎くてしかたがないあなたはきっと、お父さんとは口も聞きたくないし、見たくもない、できることならばこの世から消え失せてほしい、と思っていることでしょう。
けれど、だからこそ、お父さんのことを知ってみるのです。
この世は目を背けたいことに溢れています人間の薄汚れたところ、自分自身の嫌いなところ、他人の嫌なところ、世の中の魑魅魍魎(ちみもうりょう)。
ただ、そこにこそ新たな自分が隠れている可能性が多いにあります。
父親も同じです。
だって、あなたの父親ですよ?
あなたが生まれたときからあなたを見ていて、もし離れて暮らしていたとしても、その人の遺伝子はあなたに受け継がれています。
切っても切り離せない縁とは、まさにこのことです。
一生つきまとうものなら、死ぬまでに一度は目を向けてみませんか。
そして、それが早ければ早いほど、あなたは残りの人生をより楽に、より幸せに生きることができるはずです。
実は、そんなぼくの父は先月亡くなりました。
でも、ぼくは後悔はありません。
満足いくまで父と向き合いましたから。
ぼくは父に関心を持ち、父をゆるし、父を受け入れ、
そのおまけとして、ぼくは自分自身の一部を認め受け入れることができましたから。
父は父親の役割を担ってくれました。感謝感謝。
もしあなたのお父さんが既に他界していても、決して遅くありません。できることはあります。
ぼくのように、お父さんのことをよく知る友人知人に話を聞きに行ってみてください。
きっと気づけることが山のようにあるはずです。
とりあえず、こんな感じでしょうか。
もっと書きたいことがあったので、随時更新していきますねー。