カウンセラーいーちんのブログ

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「正しさ」は手放せば手放しただけ自由になれる

こんにちは、いーちんです。

 

先日メールカウンセリングをしていて、

あるクライアントさんのお話からインスピレーションを受けた話があるので、

それを今回は書きたいと思います。

 

ズバリ、テーマは

「正しさ」です。

 

  • 「正しさ」の定義
  • 「正しさ」は「シャドウ」と似ている
  • 手放す方法

 

「正しさ」の定義

まず、「正しさ」って何なんでしょうかね?

 

例えば、ぼくの思う「正しさ」の1つは、

「質問にはYesかNoで答えないといけない」

というのがあります。

 

例えば例えば、以前彼女にこんな質問をしてみたんです。

「オレのこと、かわいいと思ったりする?」

すると、彼女はこう答えました。

「そりゃあ、大概の男性はかわいいところがあるものよ」

 

って、そんなこた聞いてなーーーーーーーーーーーいっ!!!!!

論点がズレちゃってますよね。

一般論なんてどーでもいいわけで、

他の男性とか、どーでもいいわけです。

 

ぼくが聞いたのは、

「思う」か「思わないか」の2択です。

「はい」か「いいえ」でまずは答えるべきなのです。

 

その上で、

「けど、大概の男性はかわいいと思うけどね」

と言うなら、相手の人個人の意見になるわけなんで、

会話のキャッチボールができていることになりますから、

OKなわけです。

 

 

…と例が長くなりましたが。汗

 

つまり、これからもわかるとおり、

「正しさ」とは、

ぼくがこれまでの人生で経験してきたことから、

学んだ自分なりのルール、のようなものだと思うんですね。

 

きっと、以前に(というかこのときも)、

ぼくは自分の質問に対してYesかNoで答えてもらえなくて、

イライラして経験や気分を害した経験があったので、

少なくとも他人に対して自分はそうしたくない、

とルールを自分に課しているんです。

 

 

「正しさ」は「シャドウ」と似ている

ただし、あくまで「正しさ」とは、

「自分のルール」なので、これが他人に従うわけではない、

ということが往々にしてあるのです。

 

実際、先ほどの例のシーンでも、

当時の彼女は、ぼくのルールには従ってくれていませんでしたからね。

 

そして、

この「正しさ」はいつもどんなときも、

正しさとして機能するわけではありません。

そりゃ時期もタイミングも、状況も対象も違いますからね。

 

で、そんなとき、

自分のルールに反することを他人がしたときに、

イラっとしてしまうわけなんです。

 

 

これって、「シャドウ(影)」という概念と似てるなぁと

思ったんですね。

 

「シャドウ(影)」とは

影は、その人の意識が抑圧したり、十分に発達していない領域を代表するが、また未来の発展可能性も示唆する。その人の生きられなかった反面をイメージ化する力といえよう。

影は否定的な意味を持つ(しばしば悪や恐怖の対象としてイメージ化される)場合が多いが、この否定性を乗り越えて、自己を発達させねばならない。それは影を無意識の世界に追いやるのではなく、むしろ影との対決、影を自分自身の否定的側面、欠如側面と意識化し、影を自我に統合することが、自我発達の道であり、自己実現の道(個性化の過程)であるとユングは唱えた。(wikipediaより)

 

簡単に言うと、

「生理的に受け付けない」他人の所作のこと、かなと。

 

ぼくの場合なら、

「YesかNoを聞いている質問にそれで答えないのはダメ!」というのが、

ぼくの「シャドウ」なのかな、と思ったんですね。

 

ちなみに、

ぼくはしたたかな人も嫌いです。正直言って。

自分を利用しようとしたり、

ごまかして逃れようとしたりする人が嫌いなんです。

てか、そんな人を好きな人っているのか、って感じですがw

 

これは、ぼく自身にとって「否定的側面」なわけですね。

逆に、したたかになろうとしても、なれる気がしませんから。

 ある意味で、ぼくにとってのコンプレックスなわけです。

 

これって、先ほど述べた「正しさ」と似てると思ったんですが、

いかがでしょ。

 

 

手放す方法

ただ、この「シャドウ」ですが、

「影を自我に統合することが、自我発達の道であり、

自己実現の道(個性化の過程)である」と、

ユングさんもおっしゃってる通り、

手放すと自由になれると言いますか。

人間としての器が大きくなるのは事実なわけです。

 

では、どうしたら手放せるのか。

 

それは、

自分もそうしてみたらいいんです。

 

ぼくの場合なら、

YesかNoで答えられる質問をされたときに、

敢えて、YesかNoで答えない。

もしくは、ごまかして回答しない、とかかな。

 

したたかな人が嫌いなら、

敢えてしたたかな対応をして、

他人を利用してみたりする、とか。

 

おおおおぅ、考えただけでも抵抗感がありますね。汗

 

ただ、確かに、

このようにすると、自分の負の側面を受け入れられそうな気配がします。

 

ちなみに、

以前、ぼくはクラブとかで楽しそうにはしゃいでいる、

言わば、「遊び慣れしている人たち」にも嫌悪感がありました。

 

けど、ぼく自身もその中に混ざって、

クラブで踊り狂ったり、ライブで飛び跳ねまくったりしていたら、

いつの間にか苦手意識や嫌悪感は消えていました。

 

 

もしみなさんが、

職場や家庭、友人や恋人に対して、

「正しさ」で他人にイラだったり、

「シャドウ」を感じたら、

是非ご自身も同じことをやってみることをオススメします。